細い指が、目の前でポップコーンを一粒ずつ摘んで、ゆっくりと赤い唇で咀嚼している、へにゃりと音もなく消える粒をじれったげに眺めながら、俺はなんでそんな空気のようなものを食べるのに時間をかけているのかわからずに、白いシャツの肩越しから手を伸ばした、「あっ」と言う驚いた声と、大きな粒の塊が俺の口に転がり込むのを恨みがましく睨むふり。そんな黒めがちな目で睨んだってちっとも怖くねーよ、ざまあみろ。


「なんで今日練習来なかったんだよ?」

「なんとなく」

「なんとなくって何だよ?」

「だから.........なんとなくよ」


ぷいと横を向いて、虹色をふりまいてくるりくるりと回り続けるメリーゴーランドを見つめて、は風でふかれた前髪を押さえた。まばらに髪がかすめる、その白い額は小さい頃と何一つ変わらず、機嫌が良くないと黙り込むこの俺が扱いに困る癖だってそのまんまだ。変わった事と言えばその額も癖も、今では俺が一段上から見下ろしてなだめなければいけないって点で、そんな肉体の成長して行く現実さもお気に召されないらしく、既にどこぞに上がった火がある場合は、充分に燃えわたる為のただの燃料になりうる。
    
中学の3年間俺がずっと教えていたテニスの練習を、今日初めてサボった隣の幼なじみを見つめて、俺は息を吐いて手のひらに残った最後の一粒のポップコーンを、ポイっと口へ放り投げた。

思えばにはテニスの才能があったと思う、身体的にはやや不利の低い背丈でもスピードには、何とはなしにふらりと練習を覗きに来た幸村に目をみはらせたものがあったし、俺が教えた事柄は、次の練習の時には形になるように復習してくる向上心も前向きさもあった。俺から点を取れた時のの汗に浮かんだ嬉しそうな笑顔がすぐに思い出せる。お決まりの練習場所に姿を現さないを不審に思って、行き慣れた丹精こめて花が生けられている家の玄関前を踏みしめた時、いつもと同じチャイム音の後にのぞいたの顔は、明るい花の色に消えそうなほど冴えなかった。ぐだぐだと問いつめるよりも先にが俺の腕をとって「逃げよ」と一言だけいって、すべての視界は暗い玄関からふわりと光へと踏み出したの髪の反射で染まった。

そして俺は今連れ去られて、キラキラと瞬くように光る閉園前の遊園地に、黙秘権を貫き通す誘拐犯と一緒にいる。

たいして乗り物にものらずに長い事居座ったベンチは、終焉前のパレードを見るには絶好の場所だったらしく、遠くに見える城からにぎやかな音楽と、さざ波の様な人の歓声がこちらまで聞こえてくる。おどけながら進む小憎たらしそうなキャラクターが先頭だ。周りの人々の高潮した明るい顔にまぎれて、うつむくのそこだけ温度を下げるような空気の薄さに、俺はあーあと苛立まぎれに頭を掻いて、未だ途中経過ながらこの長い付き合いにおいて、俺が学んだなだめ方の中でもとっておきのヤツを出した。


「今から3秒数える」

「え?」

「その間に白状しなければ俺は“どうしたんだ?”とはもう聞いてやんねー.....これからずっとな」

「........っ!」

「いーち」

「........ちょっと、まって」

「にー」

「ブン太!」


俺が「さ........」と言いかけるのとが前方を指差して、焦がれる様に押し出した言葉が重なったのは同時だった。
                      
は?
なんだ?

「あれになりたいの」ってどういう事なんだ?
まっすぐ差された指の先には、緑色の服を纏った少年が夜空を自由に飛び回りながら、腕の先からフックが生えた髭づらのおっさんと格闘している最中だった。くるくるとビー玉のような悪戯そうな瞳がよく動き、軽いステップですべての追撃をかわす。

                      
「............ピーターパン?」
                      
合点がいかないような抜けた俺の声に、は空を見上げて大きく息を吸い、それを長い事溜めていた、数秒後に緊張をとくように吐き出された白い息、そして、かすかに震えた肩。

「できないの」

「何が?」

「ブン太に教えてもらってる事、技、全部」

                      
悔しそうに薄く唇をかんで言い切る。

                      
「最近、もう段々とできなくなってるの」


確かめる様にが自分の手をひらいて覗き込んだ肌には、俺もよく知るラケットの痕のような豆が、数カ所なじむように並んでいた、いつもの見慣れた利き腕.....................ん?.......あれ?待てよ、こいつの手ってこんなに小さかったけ?俺の疑問を見透かしたかの様に、が少し笑って言った。


「昔は同じ大きさだったね」


どこかで花火がはぜる音がする、それにつられた弧を描くような色めいた声。世界の全部をつめこんだようなパレードの光に、ただ一人が影になる。


「少し太ったし」

「そうか?」

「人の目つきも、なんか前と違うし」


言われてみれば、は最近なんだか丸くなったような気がする、でもそれは太ったとかではなくて、たまに白いシャツの袖からのぞく二の腕や、屈んだ時の首筋や、そういう柔らかい絵の後にはわからないが、無性に苦しくなるような衝動に見舞われそうになる.........なんていうか目のやり場に困る丸さだ。

「なあ、俺の目つきも違う時があるか?」

俺の方を向いて初めての人を見る様に、まっさらな瞳でしげしげとみつめた後、はひっそりと小さな声で「たまにね」と答えた。

「少し暑苦しくって熱ぽくって、どうして良いかわからなくなって、すぅて息が細くなる」

「そっか」と内心自覚が無いわけでもない俺が、所在なげに髪の毛に手をツッコんでぐしゃりとかきあげれば、責める風ではなく優しげには微笑んだ。しようがない事がそこら中に転がっている事をわかっている大人みたいな笑い方を、いつこいつは出来るようになったんだ?俺は知らねえ。胸がやけに苦しい、その場かぎりの慰めもいたわりもできる自分を知っている。口を開けば容易く甘い言葉はこぼれる、俺らの日常を形作る大部分の優しそうな言葉、聞きやすく、心の奥には決して浸食せず、表面だけを得意げに羽の軽さで撫でる言葉。十年来の幼なじみにこのからっぽの触れ方を俺はできる、この目前で行われている。まぶしい馬鹿げたパレードみたいな事を、けれど今と同じ様にそれを一番前の座席で眺めていられるんだろうか、俺はー

髭づらのおっさんを蹴り落として、緑色の少年は高々と剣をかかげて笑う、勝利を信じて、迷いのないその清潔な瞳に、息をつめて見つめるの瞳がだんだんと重なり、同じ色をおびてゆく、焦がれる様に、溜息をこぼしそうによりそう未熟な心、一筋のうるんだ光が黒めがちな目の端にすぅと浮かんだ。

とっさに豆だらけの小さな手を握った、驚いた様なにかまわずに、それを広げて自分の手と重ねる。やっぱりもう合わない大きさ、ライトの反射に照らされて七色に透けて見える同じ色の肌は、もうあの日の幼さと一緒ではない。

「ごめんな、。俺の手、これからもどんどんでかくなる」

「......うん」

「背だって、多分今よりずっと伸びるし、声だって低くなって怖くなるかもしれねー」

「わかってる」

「だから、お前はもう俺には追いつけない」

「................」

合わさった手が揺れ、泣きそうな震えがの側から流れてくる、せめて熱がつたわれば良いと俺は力を込めた。かすかに覗き込んだ瞳が合った、すべてが決壊し、涙がこぼれる、その前にー

俺は笑う。


「だっことおんぶ、どっちが良い?」

「え?」

きょとんと俺を見つめて、は本当にわけがわからないという顔をした。

「だーかーらー、だっことおんぶ」

「............どゆこと?」

「お前が追いつけねーんなら、俺がかついでくしかねーだろぃ?それともお姫様だっこじゃなきゃ嫌とか言いやがるか?」

「え!?いいよ、そんな、ブン太にそんな事させられな........」

「あ、そっか、そういやお前重くなったんだっけ、いくら俺でもそれはキツいなー」

「ちょ、失礼なっ」


重なった手を握りかえして、俺が顔を近づけるとは赤くなった頬を隠そうとして戸惑った、良かった、涙はこぼれていない、指でちょいと目の端を撫でるとまた緩んで泣きそうになった、たくっ、しゃーねーな。

「俺、今のお前悪くねーと思うよ.........こうしたいって思うぐらいは好きだぜ」

「えっ?」

繋がった手に触れた唇の音は、さざめく花火にかき消された。まるで何かを誓うような熱さに包まれたの手は、俺の両手の中にすっぽりとおさまり、決してもう同じではない大きさは居心地の良い非対称さに変わる。顔を真っ赤にしてずるずると腕の中に崩れおちたをかばいながら「こりゃー、やっぱだっこかなー?」と俺は笑った。





手を繋ぎあったままパレードを抜け出し、二人で光の喧噪と笑顔の人々をすりぬけ、は俺によりそい、ぽつりとつぶやいた。

「本当はね、ピーターパンになりたいわけじゃないの」

「.............あの子によく似た誰かをずっと見ていたいだけなの」

握りしめたの手は柔らかく、俺は今までこの暖かさが隣にいつも容易くいてくれた日常を、今日初めて奇跡のように思った。メインの入場口までの大通りは最後の華だとばかりに光輝き、ポップコーンがはじける音と笑いさざめく人々の声で明るい。

もしが何か欲しがったら俺が買ってやろう。
                      
アイスクリームが食べたいってんなら並んでやる。
                      
こっちを向いて笑うくまのぬいぐるみも一番でかいやつを取ってやろう。
                      
そして今日はもう暗いし遅いから、俺が家まで送ってってやる。
                      
たくっ、家の前まで行ってもこの手を離すタイミングがお互いわかんねんだろうな。あーあ、そんでもしこんな事を他の男がやってやったら、俺は馬鹿みたいに嫉妬するんだろう。

...................そう思わせるのも全部多分“今の”なんだろうな。

ひらりと淡い色のスカートがひるがえる、テニスコートに傷をつけられながらも、の足は白く眩い。

「本当に悪くねーじゃん」

その残像が頭に焼き付いて離れない俺は、笑って両手を上げ、この目前の愛しい誘拐犯に降参した。










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